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道南在住ブロガー・うみです。
函館市『 亀田八幡宮 』の御朱印をいただきましたのでご紹介します!
前回記事の続きです。
『Cafe & Deli MARUSEN』でランチをした後、今度は『亀田八幡宮』にお参りしました。
亀田八幡宮 情報
住所 | 北海道函館市八幡町3-2 |
電話 | 0138-41-5467 |
時間 | 8:30~17:00 |
定休日 | 無休 |
駐車場 | 有 |
HP/SNS | HP |
備考 | - |
亀田八幡宮 とは
亀田八幡宮 の由来
北海道神社庁のホームページによると、
明徳元年越前国敦賀郡気比神宮より、八幡大神の御分霊を同国笠原右源太が当地に奉遷。
その後河野加賀守森幸が、右源太の孫左衛門をして本殿造営をしたが、松前藩祖信広との戦乱の為祭祀営繕不能となる。
蝦夷地大乱の時、松前藩4代慶広が南部大澗より渡来の智楽院(藤山家の祖先)に七飯村藤山頂上で必勝祈願をさせ大勝し、その時アイヌ勢が七重浜の柏樹草木を軍勢と見て降参したのは八幡宮の加護と、藩祖信広の大弓半弓矢を奉納、正月6日の法楽神事を仰付け、七重浜の柏樹林の伐採を禁じ、松前藩の祈願所に定めた。
慶長8年10月本殿拝殿を建立(現神輿殿・文久2年8月改築)。
毎年祭祀料玄米25俵、各村の役納を仰付け大祭毎に代参。
明治元年蝦夷統督清水谷侍従参拝。
戊辰戦争では、幕軍榎本武揚・大鳥圭介等が当宮神殿で降伏を誓約。
同2年8、12月侍従東久世通禧参拝。同9年郷社。同15年有栖川宮一品幟仁親王御真筆の奉納。
同41年神饌幣帛料供進神社に指定。
亀田八幡宮 – 北海道神社庁のホームページより引用
とあります。
御祭神は品陀和気命(誉田別命・ホンダワケノミコト)です。
末社として、境内に函館薬祖神社(御祭神は少彦名命[少名毘古那命・スクナヒコナノミコト])、亀田稲荷神社(御祭神は宇迦之魂命・ウカノミタマノミコト)があります。
旧幕府軍降伏の地
『亀田八幡宮』の辺りは箱館戦争の戦場となった場所です。
明治2年、旧幕府軍の榎本武揚らと明治政府軍の黒田清隆らは、ここ『亀田八幡宮』の旧拝殿にて正式に降伏の誓約を交わしたとされています。
写真はありませんが、旧拝殿の壁に当時の弾痕がそのまま残っています。
亀田八幡宮の御朱印
社務所に寄って御朱印を頂きました。こちらは書き置きのものとなります。
涼やかで可愛らしい朝顔のハンコは期間限定のものでしょうか。
初穂料はお気持ちで、とのことでしたので300円を納めました。
『亀田八幡宮』は毎年開催される全国陶器市の会場にもなっています。
今年は開催されませんでしたが、来年開催されるようであればまた参拝がてら訪れたいなと思います。
御朱印の記事はこちら
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